昨日天河神社へ無事参詣させて戴きました。
迷っていたものの覚悟が出来たのでエイッと前日に決めて
すいっと日帰りツアー弾丸一人旅に行ってきました。
その日の朝、左の耳元で高周波音がしていました。
目がはっきり覚めると同時に聴こえなくなりました。
前日の朝にはベランダで洗濯を干していたら
大きなハチを見かけて大きいなぁ何て思っていたら
高速でベランダの手すりを行ったと思ったら
私の真ん前に着陸してじっとわたしを見るので
「こんにちは」とご挨拶だけして
後はそ知らぬふりをして干していたら
飛び去られました。
あー迫力がありましたー!
お前か、天河に来るのは、みたいな感じだったのでしょうか…
今回の旅は本当にすべてタイミングが良くて
京都駅で銀行でお金を引き出す必要があったのですが
新幹線改札口を降りるとすぐ目の前が近鉄線の改札で
教えて戴いたATMもその10メートル以内にあって
しかもそのまた近くの売店で
試しに購入したオリーブの漬物のおにぎりセットと焼きもちが
本当に美味しくて好みだったので
それだけで良い感じだと思っていました。
京都から近鉄線で奈良へ向かう道中では
お腹に物凄いエネルギーを感じてびりびりし続けて
それだけでうれしいなと思ったり
橿原神宮前駅で乗り換えた電車は
ほのかにヒノキのような清々しい香りがしていて
どなたかがつけている物なのか
お手洗いからかとも思いましたが
どちらも違うようで
歓迎されているような気もしました。
下市口駅で降りて、バス乗車券を買いに窓口へ。
そこの係りの方も本当に優しい感じで親切で
神社前までは行かないバスに乗るので心配だったのですが
その不安も無くなりました。
そしていざ乗車。
バス停ではないところでおばあちゃまが乗りますアピールをされたら
快く運転手さん乗せられて、
最後おばあちゃま降りられるときに運転手さんを拝んでおられました。
なんと!
都内でしたら、危ないとかなんとの理由でそんなことあり得ないですものね。
以前新婚旅行で訪れたクックアイランドもそんな感じでしたが
やはり神様と近いところにいる方々はちょっと違うぞという印象です。
かなりワイルドで高波動な山道をぐるぐる進むので
だんだん自分がどこへ行こうとしているのかわからなくなりました。
途中、白と黒の神馬を目にして、丹生川上神社・下社を通り
とても長いトンネルを2度抜けて
天川川合に到着。
なんだか宇宙船に乗ってやってきたみたいな錯覚になりました。
そこから3キロほど徒歩でてくてく歩き始めると
すーっと車が止まって
天河神社の近くまで行くから乗ってきや
と、神社まですーっと着いてしまいました。
この方も近くで「民宿 和」を営んでいらっしゃるとか。
神様かと思いました。
神社では、ご祈祷をお願いし
宮司さん(禰宜さんだったのかな)が30分ほどで奥様のところから帰られるということで
社務所に上がってよもやま話などさせて頂きながら待たせていただきました。
打ち解ける前に、小さな声で口ずさむような感じではありましたが
何かとても良い声で歌われていたので
なんの歌ですか?とお聞きすると
歌っていたか?と聞き返され
はい、歌われていました
と答えると
だと苦笑いされながら教えてくださりました。
さすが芸能の神様のおられる場所
本当に良いお声で聞き入ってしまいました。
縁起の良いご詠歌との出会いでした。
その後人生初のご祈祷を受けさせていただきました。
言霊の凄いこと
エネルギーを熱く感じるのですが
時折風が吹いてくるのが心地好く
神様を感じられる瞬間でもありました。
時空が揺れて
振動と震動が凄かったです。
帰りのバスまで3時間ほどあったのですが
ずっと神社内におりました。
これは違うやり方だとは思うのですが
神殿の前で跪いて
額を地に着けずにはいられず
ひれ伏してしまいました。
勝手に体がそうしてしまいましたが
言葉で顕すならば
感謝の気持ち
畏敬の念
でしょうか。
あっという間の3時間で、
帰る少し前から雨が降り始め
何となく辨才天、龍神様の祝福のような気がしました。
帰りのバスには鹿の絵が。
神様のお使い鹿さんバスで爆睡しながら
あっという間に駅にワープ。
帰りのバスには鹿の絵が。
神様のお使い鹿さんバスで爆睡しながら
あっという間に駅にワープ。
秘境のような場所にある
天川村の天河神社。
快く送り出してくれた旦那様と美庵くんにも感謝です。
奈良ってやはりいいな。
京都のような華やかさはないけれど
程よい距離感を保てる感じで
好きな土地です。
最後に
わたしの名前は
京子
と書いて
ちかこ
と読みます。
東京生まれの母と
岡山生まれの父との
初めての子供である私に
父の憧れだった叔母のちか叔母さんの名前
からとった京という漢字。
今まで由来を聞いてもなんだか父の説明ではピンとこなかったのですが
東京駅から京都駅までの新幹線の中で
東京駅から京都駅までの新幹線の中で
東の京(みやこ)と西の京(みやこ)
両方の京は物理的には遠くにあるけれど
京は父にとって身近(ちかく)に存在し
また憧れの存在でもあったのではないかと
だから「京」で「ちか」
と読むのことは父にとってとても思い入れの深い
大切なことだったのではないかという
結論に至り
受け入れ易く、今度こそ私の名前に納得できそうという感じです。
今回の旅で
そんなことを考えていました。
五十鈴のお守り
他とちょっと違う良い音魂です。
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123 ひふみ |
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